より良い未来を描き、これまで存在しなかった市場を産み出し世に残すスタートアップ。
道なき道を行くその様には様々なドラマが存在します。
今回はそんな新たな価値の創造に挑む一社である WHILL株式会社 をご紹介するため、CTOの福岡 宗明氏にお話を伺いました。(以下、質問者はDGベンチャーズメンバー、回答者は福岡氏)
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[WHILL株式会社]
「すべての人の移動を楽しくスマートにする」をミッションとして、世界の歩道領域で新しい移動のスタイルを生み出しています。2012年5月に日本で創業し、2013年4月に米国、2018 年8月にオランダに拠点を設立し、パーソナルモビリティとMaaSの二つを事業の柱としています。
始まりは有志による週末プロジェクト
– 今回は創業秘話から事業の目指す先まで幅広く伺いたいと思います。まずはどういった背景で創業に至ったのでしょうか。
創業自体は2012年ですが、じつはチームとしては2009年から活動をしています。私はその当時はまだオリンパスに在籍しており、名古屋大学大学院の同級生でソニーに入社していたCDOの内藤(最高開発責任者 内藤 淳平 氏)と社会の課題をテクノロジーで解決することを目指した「Sunny Side Garage」(以下SSG)というプロジェクトチームを設立していました。CEOの杉江は後からそのチームにジョインしたのです。
技術職の強い私たちにデザイン会社の立ち上げをしながら世界をまわっていた杉江が加わることで、あらゆる課題に対して「デザインとエンジニアリングの力」で解決する集団になりました。そんな中、2010年にメンバーがある車椅子ユーザーの方に出会ったことがきっかけで私たちは「車椅子」にフォーカスするようになり、創業するに至ります。
ご本人は社交的で明るい方なのに、100m先のコンビニに行けない。行きたくない。たった100mの中でも、段差など物理的なハードルや道路の安全性、そして、「車椅子に乗っている人」として周囲から見られる心理的なバリアが、外に出る気持ちを阻んでいるのです。そしてそのバリアは快活だった人ほど強くて。車椅子に乗ることがきっかけで、そういう気持ちになっていっている人にもっと人生を楽しんで欲しい。自分の可能性を閉ざさずに、心が踊る場所にどんどん出向いて欲しい。その後押しをすることはすごく価値のあることだと思ったんです。
− グッドデザイン大賞、第5回日本ベンチャー大賞での審査委員会特別賞や、その他米国・アジアで数多く受賞しており、その考えが広く受け入れられ評価されているのですね。
これらの受賞は純粋に嬉しいです。先述した心理ハードルはテクノロジーとデザインで解決すべきだと思っているので、いかにコンセプチュアルでクールなデザインであるかにはいまもこだわり続けています。
ここにたどり着くまでも数えきれないほどのハードルを乗り越えてきたので、感慨もひとしおで…。
叱りの声から決意した起業、乗り越える壁はとにかく高い
− 新たな市場をつくることですし、並大抵ではない苦労があったのではとお察しします…印象的なエピソードはありますか?
じつは私たちが開発に着手したときは製品化をまだ本格的に考えていなくて。まずはコンセプトモデルだけを作っていました。ただ、その過程で協力を仰ぎに行った先で強い叱責を受けたんですよ。「ふざけるな。」と。「このような製品を待ち望む車椅子ユーザーにとって夢だけを見せるのは本当に残酷なこと。本気で作るつもりがないなら、今すぐやめろ。」という言葉を受け、自分たちの覚悟の甘さを反省すると共に、これはもっと世の中に届けるべきだと強く感じて改めて起業しました。
でも、製造販売を含めた経営には本当に苦労しました。
いざ起業するとなると元々SSGに20名前後いたメンバーがほとんど抜け、メンバーとしてコミットすると決めたのは3名だけになりました。そして私たちの中にはスタートアップやベンチャーの世界に詳しい人間おらず、今ほど情報が出回っていたわけでもない時期ですし、何もわからず本当に1から学び直していたと思います。それこそ、起業の過程で事業のピボットはよくあるということすらも知りませんでした(笑)
− その頃デジタルガレージ グループのOnlabでアクセラレータープログラムに参加されていましたね。
そうですね。その頃私たちは大きさのあるハードウェアを開発していたので、作業場だった私の家から出る機会が少なくて、あまりワーキングスペースに行けませんでしたが…。でも、たまに顔を出したときに会話するプログラム同期には本当に救われました。それこそ、喫煙室で「最近どう?」という会話をする程度でしたが、同じように孤独と戦っている、苦しみにながら足掻いている存在がいることは、自分たちにとって励みになりました。
その頃特に頭を悩ませたのは開発スケジュールですね。3ヶ月以内にプロトタイプの試作品を提出しなければならないのに、使用する部品がどうしても間に合わない。とにかく最初の発表の時には現物イメージをもってもらおうと、最終的に発泡スチロールで製作し提出しました。
ーえっ!発泡スチロールですか(笑)
はい(笑)本番発表のデモデーの時には本物は間に合いましたよ!
ビジネスでは「信頼」がすべて、お金も人脈もとにかく苦戦した
− Onlabでは無事採択され事業化を加速されたわけですが、その後は順調でしたか?
そんなことはなかったです。
例えば先ほど挙げた部品も入手する際に売って欲しいと頼んだところ「実績もなく、ロットでの発注もなく、今後も開発を続ける保証もない相手は信頼出来ない。2度も付き合いはないものと思っているから。」と、法外な金額で見積もりを出されたりもしました。前職の大手企業にいたときはそんなことはなかったので、ネームバリューはここまで影響するのかと面食らいましたね。
また資金調達にも本当に苦労しました。とにかくお金が集まらない。やはり当時起業といえばソフトウェアですし、ハードウェアのことはよくわからないと断られ続けました。試行錯誤した結果アメリカに渡っているのですが、ビジネスの規模や可能性にも賭けていた一方で、「どうやらシリコンバレーなら集まるらしい。なるほどよし行くか!」と藁にもすがる思いで渡米していたのが本音です。
Onlabの担当の方にもいろんな人脈をご紹介いただいたにも関わらず、最初はアメリカでも話がまとまらず。あらゆる知り合いの家を歩き渡り生活費を切り詰めながら出会えたとあるVCの方が、私たちの想いに共感したことですぐに投資を決めてくれ、ようやくまとまった資金を得られた時には心からほっとしました。
想いが強ければ協力してくれる人は現れる、そんな人たちに助けられた
− 想いに共感したうえでの支援は嬉しいですね!
はい、有難い話です。不思議なもので、夢を持って諦めずにいると支援してくれる人は現れるんですね。
開発初期段階のときもどうしても買い手がつかなくて。考えたら当然ですけどね。コンセプトはよくても、こんな小さくて出来たばかりの会社が作った物なんて不具合が多発するのでは?トラブルが起こった時にサポートしてくれるのか?とリスクしかないわけですから。ただ、そんな中でもここが目指している世界は絶対にいいものだと、多くのロットで仕入れてくれたクライアントが現れたりもしました。
ちなみに先ほど話した部品なのですが、じつは直接現地の工場に赴き私たちが何故これを作りたいのか、それを通して何を実現したいのかを話に行ったんです。すると、話をした相手は娘さんが車椅子を使っているらしく、「やりたい事はわかった、ちょっと上司を説得してくる!」と本当に説得してくれて。そんな人たちのご好意のおかげでいまの自分たちは存在します。
本当に危うかったですよ。ソフトウェアとは比較にならないほどの出費が続く中、それでも自己資金だけでやってきたので、いよいよ底を尽きそうで解散を覚悟したタイミングもありましたが、そんな時に追加の投資が決まったり。そういった細い綱渡りをしてここまで来ました。これまでお世話になった方々には感謝が絶えません。気持ちのアップダウンが激しすぎて同じことはもう2度とやりたくないですが(笑)
自分たちが最後の砦だと覚悟している
− 聞いていると本当に波乱万丈ですが…逆に辞めるということは考えなかったのですか。
確かにしんどいことが続きましたが、辞めようとは思わなかったですね。折れそうになるとこれまでお世話になった方、最初に叱責してくださった方の顔が浮かびますし。
何より、もしここで私たちがあきらめてしまったら、もうこのジャンルにチャレンジする人すら絶たれてしまうのではと危機感を持っています。それだけハードルの高い事業に取り組んでいるつもりです。
少子高齢化の社会を思えば老いと共に車椅子での体験が自分ごと化される人が確実に増えるのに、ただ指を加えて眺めているような事態だけは絶対に阻止しなければと思っています。
以降、Part 2に続きます・・・!続編もお楽しみに!!